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パレスチナ・ファレスティーン

笑って泣いて食べて暮らしたパレスチナ。 時々の思いを綴ります。

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本棚

ブログの左側に、関連書籍という本棚を設置しました。
ブクログというサイトを教えてもらい、それを使ってみました。
この本棚には、発売日の新しいものから12冊が出ていますが、
本棚の左下の家のマークをクリックすると、登録している本が出てきます。

こちら、私の実際の本棚に入っている本。
結構、ほこりを被ったりしています。
今、250冊ぐらい登録しています。
思った以上にあるもので、これが全て頭に入っていたら、
どんなに良かったことかと、今更ながらに思っています。
洋書は、まだほとんど登録していないので、
これからぼちぼち登録していく予定です。

パレスチナ関連本が、多いです。
1990年代半ば頃に出版されたものも結構あります。
90年代半ば以前のパレスチナ関連の本は、
ブクログで登録しても、表紙の写真が出てこないものが多いです。
既に忘れたれた本になっているのかもしれません。

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バレンボイム/サイード タブーを破ること

パレスチナのオペラ(1234)を通して見えた、
ユダヤ人の音楽家バレンボイムの複雑な立場発言の真意が伝わっているのかという疑問。

オーケストラを共に設立した、
バレンボイムとパレスチナ人の知識人エドワード・サイードの対談が翻訳されています。
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サイードは、二人の関係を
”私たちあらゆる種類の関心事を共有する親しい友人として、二人いっしょに、自分たちの人生の相似したところ(パラレル)と相反したところ(パラドックス)を探求していたのである”
と、述べています。

最初の対談で、1999年に、バレンボイムとサイードが共同で行った、ウェスト=イースタン ディヴァン オーケストラの取り組みが書かれています。ゲーテの生誕250年の記念日にドイツの都市ワイマールで、アラブ人とイスラエル人の音楽家、ドイツ人音楽家がの混成でのオーケストラによって、コンサートが実現しました。この実験的な試みを指導・指揮したのがバレンボイムでした。
バレンボイムは、このワークショップを通して、いかに他者への無知が横行していたかに驚き、共通の体験や出会いの大切さを強調します。
そして、
”争っているもの同士が互いの接触を通じて問題を解決していくことによってしかありえない”
と語っていました。

この作品の最後に収められている、サイードが、アル・ハヤート紙に寄稿した、「バレンボイムとワーグナーのタブー」が収められています。
ヒトラーが愛した曲として名高いワーグナーの作品。これを演奏することは、イスラエルではタブーとされていました。バレンボイムは、イスラエルでのコンサートのアンコールで振りました。イスラエルの排他的な民族主義への批判としての行動。これは大きな波紋を呼びました。
サイードは、イスラエルにおいてワーグナーをタブー視することと、パレスチナにおける個人レベルでの文化面でのイスラエルボイコットを重ね合わせて論じていました。

”イスラエルとの関係「正常化」に反対するキャンペーンは、ずっと現実で切実的なものであるものの(中略)、イスラエルがパレスチナの詩やワーグナーをタブー視しているのに似たところもある。
わたしたちの問題は、アラブの政府はイスラエルと経済や政治の関係を築いているのに、個人レベルの集団がイスラエル人とのすべての接触を全面的に禁止しようとしているとということだ。
関係正常化の禁止は筋が通らない。なぜなら、このキャンペーンは、その存在理由であるパレスチナ人に対するイスラエルの弾圧を軽減していないからだ。”

”わたしたちはイスラエル人の意識に到達できるように、もてるかぎりの手段を使って努力しなければならないのだと思うのだ。
イスラエル人に対してものを語り、ものを書くということは、わたしたちに対する彼らのタブーを打ち破る。・・・・”

最後は、
”現実の生活をタブーや禁止でしばりつけることによって、批判的な理解や解放を阻むことはできないということだ。それらはつねに最優先されなければならない。無知や逃避は、現在のための適切な指針ではありえない。”
と結んでいます。

音楽を共存に向けての地道な交流もまた、
甘い夢物語ではなく、自らのタブーを打ち破る、批判を恐れない、忍耐強い行動なのでしょう。
残念ながら、解決の兆しが見えないパレスチナの問題。
サイードが生きていたら、今の状況をどう批判し、発言したのでしょうか。
彼の早すぎる死が惜しまれます。

本について
バレンボイム/サイード 音楽と社会
A.グゼリアン編
みすず書房 2004年
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エルサレム賞2001

本棚の本は増え続けるのに、変わらない知識量と衰える思考力。
本が横になると怠け者の私も横になるだけで手にさえ取らなくなるので、2冊置き始めました。

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先日、リサイクルショップで見つけた「ブックエンド」と私が呼んでいるもの。
友人に、泥棒が入ったら後悔するか逃げ出すか、と言わせた本棚には、
パレスチナ、イスラエル、アラブ、テロ、原理主義、9.11、戦争などの題名がずらり。
私の本棚の本たちとのギャップがぴったりと、「ブックエンド」を買ってしまいました。

本が倒れないように、慎重に「ブックエンド」を設置していたら、
手前にしっくりきたのが、スーザン・ソンタグの作品群。
久しぶりに手にとって改めて読んだのが、
2001年にエルサレム賞を受賞したときのスピーチでした。
今年、村上春樹がエルサレム賞を受賞したときから、気になっていました。
エルサレム賞は「エルサレム文学賞」ではなく、
「社会における個人の自由のためのエルサレム賞」と呼ばれています。

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エルサレム賞受賞スピーチが収録されているのは、この本です。
私は、80年代後半に「隠喩としての病い」を通して、ソンタグの作品に触れました。
2001年当時、私はパレスチナにいましたが、
ユダヤ系アメリカ人の彼女の受賞はおろか、エルサレム賞さえ知りませんでした。

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初めて読んだとき、帯にもある、
「もし真実と正義のどちらかを選ぶとしたら
 ―もちろん、片方だけを選ぶのは本意ではないが―
 真実を選ぶ」
ということばが、胸に突き刺さりました。

授賞式は2001年5月。
2000 年9月に始まった第2次インティファーダが激化する一方の時期でした。
彼女は、イスラエルによる圧倒的な軍事力による攻撃、占領地への入植地政策を
真正面から批判しました。

「集団的懲罰の根拠としての集団責任という原則は、軍事的にも倫理的にも、けっして正当化しえない、と私は信じている。何を指しているかと言えば、一般市民への均衡を欠いた火力兵器攻撃、彼らの家の解体、彼らの果樹園や農地の破壊、彼らの生活手段と雇用、就学、医療、近隣市街・居住区との自由な往来の権利の剥奪である……。こうしたことが、敵対的な軍事攻撃に対する罰として行われている。なかには、敵対的軍事行動の現場とは隔たった地域の一般市民に対して、こうしたことが行われているケースもある。
私は以下のことも信じている。自治区でのイスラエル人の居住地区建設が停止され、次いで―なるべく早期に―すでに作られた居住区の撤去と、それらを防衛すべく集中配備されている軍隊の撤退が行われるまで、この地に平和は実現しない、と。」(p211-212)

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   東エルサレムの入植地(撮影:2008年5月エルサレムの日を前にして)

2001年当時のエルサレム市長は、オルメルト前イスラエル首相(2006-2009)。
東エルサレムの入植地拡大を推し進めた張本人でした。
彼を前にこのスピーチはなされたそうです。

そして、最後のスピーチの部分には、
「イスラエルとパレスチナで、個としての声と、複数の真実からなる文学を創造すべく格闘している、すべての作家と読者への敬意とともに、これを受ける。」(P216)
とも、述べていました。

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ソンタグは、2004年に、がんのため帰らぬ人となりました。
建設が続く分離壁、2005年のガザかのイスラエル軍と入植地の一方的撤退、
昨年末のガザ侵攻、現イスラエル政権による入植地政策等、
様々な現実に起きていることに対する彼女の批判を
聞きたかったのにと思っている人は、多いことと思います。

この本には、9.11直後、サラエヴォ空爆下からのメッセージ性の高いエッセイ、
大江健三郎と往復書簡、戦争と写真をめぐる考察、エルサレム賞のスピーチが
収録されています。
自分の見たものから語る彼女ののことばは、刺すような痛みを伴いながら訴えかけてきます。

前書きの最後は、
「真実はつねに複雑であり、矛盾に満ちている。」
と、しめられていました。
それでも信じるものは真実であり、大切なのはそれを真摯に探求し続けることなのでしょう。

本について
この時代に想うテロへの眼差し
スーザン・ソンタグ 
NTT出版 2002年
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民族共生国家への挑戦

『イスラエル=パレスチナ 民族共生国家への挑戦』の
著者のミシェル・ワルシャウスキー氏は現地ではミカドと呼ばれています。
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彼は、イスラエル人で、
イスラエル側、パレスチナ側双方に事務所を持つオータナティヴ情報センター(AIC)の代表です。
(AICのホームページ:英語  http://www.alternativenews.org )
平和活動に関心を持つパレスチナに関わっている外国人で彼のことを知らない人はいない
と言っても過言ではないでしょう。

この本の序章「共に生きる人」に、
「共に生きようとして共に死んでいった」イスラエル人、パレスチナ人のエピソードが出てきます。
彼らは、AICのスタッフで、ワディ(枯れ川)の鉄砲水に飲まれて死んでしまいました。
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           序章に書かかれたメッセージ

この事故で亡くなったパレスチナ人男性エリアスは、友人リンダの夫でした。
リンダに初めて会ったのは、1990年代の半ば。
私はヨルダン川西岸地区ベツレヘムに移ったばかりで、
リンダが、ベツレヘム周辺地域の保健事情を教えてくれました。
彼女は看護師で、その当時、保健指導員養成学校の先生として働いていました。

孤立した小さな村、医療アクセスに問題のある村落部、難民キャンプ。
彼女が仕事の合間を縫って、自分の車で私たちを連れ歩いてくれました。

リンダには2人息子がいて、長男は小学生なのに次男はまだ赤ん坊。
パレスチナでは珍しいことです。
「夫が長くイスラエルの刑務所に入れられていたから」と言っていました。

ある日曜日の昼食に、リンダが招待してくれました。
「料理から、一緒にしましょう!」と
夫のエリアスも加わって、
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イタリアンパセリを細かく刻んで引き割り小麦やトマト、レモンで味付けしたサラダ「タブレ」や
トマトでしっかり味付けした鶏のローストを作って食べました。
エリアスは思慮深い印象で、お似合いの夫婦、幸せそうな家庭でした。

エリアスが逮捕された、とリンダから連絡があったのは、それから間もなくでした。
私はヘブロンが仕事の拠点になりましたが、リンダからはよく連絡があって会いました。
いつもリンダが考えていることは、「エリアスの釈放のために、何かできないか」、でした。
私は、知っている人権団体などありったけの情報を出しましたが、
いつも、リンダは、すでにそことは連絡を取っていました。私は何もできないでいました。
それでもリンダは、海外から何か夫の釈放の可能性が出てくるかもしれないと、
希望を持ち続けて、ちっぽけな私にも相談していました。

逮捕から3年の月日が流れ、エリアスはやっと釈放されました。
エリアスは、オータナティヴ情報センター(AIC)のパレスチナ側の編集長として
職を得たということを聞きました。

エリアスの死を知ったのは、それから間もなくでした。
AICのメンバーとエン・ゲディにハイキングに行っていて、
ワディからの鉄砲水に飲み込まれてしまったのです。
一緒に働くAICのイスラエル人スタッフ2人と共に。
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          エン・ゲディは人気の観光地
新聞でも取り上げられ、多くのパレスチナ人がこの話をしていました。
リンダに会ったとき、涙も枯れ果てたような顔をしていました。
エリアスと一緒に鉄砲水に巻き込まれ、ミカドに助けられた長男のアヘドは、
安心して眠ることができずうなされている、と言っていました。

エリアスの死から10年が経ちます。
アラブでは、子どもを持つ女性は長男の名前と母親とをくっつけて、呼びます。
リンダは、イム・アヘド(アヘドのお母さん)と呼ばれていますが、
リンダは、マラタ・エリアズ(エリアスの妻)と自分のことを今でも呼びます。
リンダは仕事を続け、息子たちを育てています。
地元で最も信頼される診療所の地域保健・学校保健部門の責任者として、がんばっています。
そんな彼女が住む家は、イスラエル入植地との境界近くで、
土地を接収されるのではないかと心配、と言っていました。
分断される占領下のパレスチナで生き続けているのです。
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この本のテーマは、共生。
衝撃的なエピソードで始まる序章とはうらはらに、本章は客観的な事実の積み重ねです。
ユダヤ人国家の問題点を時系列で分析し、
すでにユダヤ人国家としての存在が不可能な状態にきているなか、
あるべき、当たり前の姿としての、民族共生を描き出していきます。

しかし、本が書かれて8年たった今、
分断は進み、相互理解は当時以上に困難になり、解決は暗礁に乗り上げています。
イスラエルでは右派政権が台頭し、リクードのネタニヤフが首相になり、和平交渉はさらに難航。
ネタニヤフ首相が、二国家共存のよる解決案を認めない、という、表現を目にします。
ですが、そもそも、二国家解決案が、真の解決案なのかに疑問を抱く人も多いのです。
右派は、ヴェールで覆われたような虚構の和平を語らない分、
真実が見えやすくなるのかものかもしれません。

先日のオバマ米大統領とネタニヤフ首相の会合で、
オバマ大統領は二国解決案による和平を強調、ネタニヤフ首相はそこには触れない。
そのような交渉に対する、アラブ・リーグの代表ムーサ氏のコメントが印象的でした。
二国解決案が不可能ならば、イスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒も同じ権利を享受できる
一国による解決しかない。
アラブ側リーダーも共生国家について語ります。これは、単なるプレッシャーではないでしょう。

リンダにも率直な意見を聞いて見たいことろです。

本について
イスラエル=パレスチナ 民族共生国家への挑戦
ミシェル・ワルシャワスキー著
つげ書房新社 2001
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