パレスチナ・ファレスティーン

笑って泣いて食べて暮らしたパレスチナ。 時々の思いを綴ります。

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タイベビールに近い地ビール?

職場が神奈川県に移って気が付いたのは、
神奈川県には、結構、地ビールが多いということ。
気になって、時々買って飲んでいました。

パレスチナのタイベビールゴールデンに近い?と、感じたのが、
サンクトガーレン ゴールデンエール
サンクトゴアール
神奈川県厚木市にある地ビールの老舗の定番商品です。
上面発酵で作り方も近いせいなのでしょうか。
エールですが、のど越しが良くておいしいです。

ビールの味の基準がパレスチナってこと自体、何か違う、
と言われてしまいましたが、体に染みついた記憶には勝てません。

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アラビックコーヒーをお猪口で

パレスチナでのおもてなしで必ず出てくるアラビックコーヒー。
パレスチナへのお土産に日本のお猪口はとても喜ばれます。
なので、ちょこちょこ買うのですが、
手元に残るのは、こだわりの品か、一点もの?ぐらいです。
カフェ
左側は、沖縄の焼物、那覇で購入したのですが読谷村のものだったと記憶しています。
ほのぼのとした土の感じとアラブックコーヒーにぴったりのサイズで気に入っています。
右側は、福島の相馬焼。震災前に焼かれたものだそうで、
浅草界隈での福島応援フェアで購入しました。
熱いものは冷めにくく、手に持った時に熱くならない、二重構造です。
相馬焼の多くの窯は浪江町にありました。
現在も原発事故による避難指示が継続しているため、
町内への立ち入りは制限されています。
現在、二本松などで窯業は再開されてきています。

パレスチナ陶器のミニーコ-ヒーカップも何度も買いましたが、
こちらは日本の知人へのお土産にしたりで、気が付けば手元にありませんでした・・・。
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タイベビールのおいしさ

タイベビールは、今週末、恵比寿ガーデンプレイスで行われる
ビアフェス東京2015にも出展されるそうです。
タイベ
タイベビールは、これまでも高い評価を受けてきたとか。
2000年頃私がパレスチナにいた時には、
一本一本味の違うビールなどと独特の評価を聞いたりもしていましたが・・・ 。

タイベビールは、上面発酵の香りの高さがおいしさの特徴と感じます。

日本では下面発酵のラガービールが多いのですが、
イギリスなどは上面発酵のエールビールが主流のようです。

実は、自宅近くに自家醸造のパブがあって気になっていたのですが、
おいしいタイベビールを飲んだのが引き金になったのか、
仕事帰りに寄ってみました。
カピオン
カンピオンエール http://www.campionale.com/jp/
FESTIVAL のハーフパイント。
冷たくなくて、炭酸も強くなく、香りがしっかりして、おいしいビールでした。
作りたてのビールはおいしいです。

何年か前にタイベビールの工場に行ったとき、
生産調整のためその日はビールづめのラインが止まっていて、
できたてのビールが飲めなかったのを思い出しました。
本場タイベに飲みに行きたくなったおころです。
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タイベビール in ヘブロングラス

今日から6月。
1年半以上ほったらかしにしていたブログを久しぶりに見たところです。

暑い日にはビールが一番。
タイベビールをヘブロングラスに注いでみたら、
日本の最高峰「富士山」になった!
と思うのは、気のせいでしょうか。。。。。

タイベinヘブロン

絶妙なコラボと一人で盛り上がって、おいしいビールをいただきました。

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パレスチナ関連映画予告編その2(日本)

日本人監督による映画もここ数年増えてきました。

⑤パレスチナ1948・NAKBA(ナクバ)


⑥『沈黙を破る』


⑦ガーダ パレスチナの詩


⑧ぼくたちは見た ?ガザ・サムニ家の子どもたち

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パレスチナ関連映画予告編その1

この秋から冬にかけて、
パレスチナ関連映画が日本でも上映されています。
youtubeでパレスチナ関連映画の予告編を
まとめてみると、かなりの迫力でした。
youtubeが設立されたのが2005年なので、
それ以降の作品になってしまうのが残念です。

①パラダイス・ナウ


②ミラル


③シリアの花嫁


④いのちの子ども


⑤壊された5つのカメラ
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映画「沈黙を破る」と2002年ジェニン

2002年春当時のことです。

映画「沈黙を破る」で描かれている
2002年のイスラエル軍によるヨルダン川西岸地区への大規模軍事侵攻。
ナブルスのバラータ難民キャンプとジェニン難民キャンプの人々の様子が
克明に記録されています。

BS0005.jpg
ジェニン難民キャンプの破壊された民家、屋内に残っている食料を探しにきた老女。

私は、この時期、NGOの緊急医療支援メンバーとしてパレスチナにいました。
エルサレムを拠点にして、国際人道法に基づいた人道支援活動で、
イスラエル軍の許可を取って、攻撃の被害を受けている地域に、
医薬品や食料など必要なものを調整して、届ける仕事に従事していました。

パレスチナでの救援活動に関わる国際NGOが共同で、
ジェニンに救援物資を届ける許可が取れ、
NGO間で調整して担当の物資を決定し、徹夜で準備をして、ジェニンに向かいました。
ちょうど、その日の朝に、イスラエル軍はジェニン市中心部から撤退しました。


BS006.jpg
検問所で待たされる支援物資を積んだトラック。

私たちは、検問所で長時間待たされましたが、
何とかジェニンしないまで物資を届けることができました。
私は、病院の子ども用の粉ミルクや離乳食を担当していましたので、
難民キャンプのすぐ横にあるジェニン病院に向かいました。
前日まで、軍事封鎖下、24時間に渡る外出禁止令が出されていましたので、
病院の前は人でごった返していました。
私たちは、裏の駐車場にトラックを止め、荷物を運び出すことになりました。


BS0004.jpg
駐車場で最初に目にしたのが、写真の光景でした。
どんなに優秀な医者でも、医薬品や食料調達に長けたNGOスタッフでも
この人々の命を救うことはできません。
紛争地で、民間人に食料・医薬品・衣料・シェルターなどを提供する人道支援は、
確かに必要です。
しかし、人道支援は紛争を止めることはできないことを
ご遺体を前に痛感させられました。

私はジャーナリストではありませんが、
このことを伝えなければと、震える手でシャッターを切りました。

映画「沈黙を破る」では、
2002年に何が起きたかということと、その後の人々の様子が描かれています。
パレスチナ側でのインタビューも内容が深く、
パレスチナに人々の心からの訴えが伝わってきます。

それと同時に、元イスラエル兵の証言が、折り重なるように綴られ、
両者の叫びから私たち自身が考えさせられます。

関連書籍:土井敏邦「パレスチナ ジェニンの人々は語る」
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